昭和初期とは比べ物にならないほどの電波使用量に

携帯電話と電波の密接な関係。電波不足を解消するには

巨人戦やプロレス中継に大衆は熱狂し、テレビの前はどこも黒山の人だかりとなった。台数に比例するNHKの受信料がさほど伸びないのに対して、広告収入は見る人の数に比例するため、日本テレビの広告収入は急増した。「三種の神器」とミッチー・ブーム。そして日本は、高度成長期に入ってゆく。このころには、テレビは電気冷蔵庫、電気洗濯機とともに「三種の神器」の一つに数えられ、社会的な影響力という点でも最大の大衆商品となった。

巨人の長嶋茂雄やプロレスの力道山などはテレビを通じて国民的英雄となり、テレビは国民の勤労意欲をかきたてるうえでも大きな役割を果たした。なかでもテレビの普及に大きな役割を果たしたのが、1959年の「ミッチー・ブーム」である。皇太子と美智子妃の成婚パレードを見ようと、テレビの売れ行きは激増し、1954年に全国で4万台だったテレビの売り上げは、58年4月に100万台、59年10月には300万台と毎年倍増の勢いで伸び続けた。量産効果で価格も下がり、62年には14インチで5万円と、一般家庭の手に届く価格になった。

この間に国民の所得も3倍になったからだ。皇太子パレードには在京各社も総動員態勢でのぞみ、動員された中継車は延べ30台以上、カメラは100台以上、動員されたスタッフは1500人以上だったという。NHKはこのとき、1000人以上という大量の職員を採用したため、のちのちまで人事構成のひずみが残るほどだった。さらにテレビをメディアの主流にしたのが、1964年の東京オリンピックだった。このときには、欧米各国への衛星中継も実現し、テレビ中継が大会の主役となった。


特にこれを強く求めたのは、キー局のなかに系列局をもたない朝日新聞だった。NETは、同じく教育専門局だった東京12チャンネルとともに「一般総合局」に免許が変更され、資本関係を整理し、朝日新聞が筆頭株主となって1977年に「全国朝日放送、略称・テレビ朝日」と改称された。

大阪の朝日放送も、TBSとの大規模な株式交換などによって、テレビ朝日の系列へと移され、TBSは大阪の毎日放送とネット関係を結ぶことになる。このとき、資本関係の変更を調整したのも田中角栄だった。財界の要望によってつくられた東京12チャンネルも、当初は科学技術専門チャンネルとして1964年に放送を開始したが、経営不振に陥り、結局、日本経済新聞社に身売りされ、のちにテレビ東京と改称される。
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